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自己紹介

​生まれは静岡県の掛川市、小学一年生の二学期から東京浅草橋で育ちました。のんびりした静岡の自然も、騒々しい東京の下町も、どちらも大好き。鳥越神社のお祭りには、男の子に混じって御神輿担ぎに夢中でした。

 榊原流の日本舞踊とインド舞踊を習いました。松坂屋ホールでの発表会の写真(右)が残っています。その当時は流行歌全盛時代で、遠足のバスの中で先生におだてられて島倉千代子の物まねをしたりクラスの大スターでしたよ(v^ー°)


昭和50年 民謡との出会い

ご近所の民謡教室になんとなく入会、すでに二児の母となっていました。秋田おばこが気に入り、一つ覚えでそればっかり唄っていました。 習ってまだ3ヶ月のころ、仲間達と市内の民謡酒場で「秋田おばこ」を唄ったら、あんたプロじゃないの?と本物のプロに聞かれて驚きました。


昭和53年​ 師匠・川崎マサ子との出会い

松戸市民会館で大瀬清美ショーに特別出演した川崎マサ子の抜群の歌唱力とその美声に接し,感動自分の年齢も考えずに民謡歌手を目指す決意をしてしまいました。入門第一日目からの猛特訓は、一生忘れられない私の民謡人生の原点となっています。当時の私のレパートリーは、秋田おばこ、生保内節、長者の山のたった三曲でした。その秋田おばこを聞いたマサ子師匠から、「あんたの秋田おばこは12ヶ所も間違ってるよ」といきなりコテンパンに直されました。ただ、第一日目の稽古のあと師匠が、「あんたのお母ちゃん、声がいいねー、すぐに一番になるよ」と頭をなぜながら幼稚園生の娘に言ってくれました。自己流で満足している私の唄い方をゼロから再出発させる意志を強く示しながらも、それとなく励ましてくれたんですね。

 以来3年間、マサ子師匠は私に秋田おばこ以外の曲は教えてくれなかったのです。師匠曰く「秋田おばこが歌えるようになれば、あとはなんでも歌えるようになるから絶対辛抱しなさい」入門したあとで知ったのだが、秋田おばこはマサ子師匠が日本一を勝ち取った唄だったのですね。

 レッスンはマンツーマンで、長いときには60分唄いっぱなし。まさに、汗びっしょりの地獄のスパルタ教育でした。私の民謡人生での最大の幸運はこのようにして師匠・川崎マサ子とその秋田おばこに出逢えたことです。


昭和54年 三波春夫ショー

師匠・川崎マサ子とともに,歌舞伎座の「三波春夫ショー」に特別出演。歌舞伎座の舞台の奥行の深さに戸惑いながら、リンゴ節と弥三郎節の二曲を夢中で歌いました。

昭和59年​ 春季大会優勝

日本郷土民謡協会春季大会にて優勝。優勝曲は例によって「秋田おばこ」。


昭和57年​ 民謡指導者として

師匠より弟子養成を許され、指導者としての道も歩むことになりました。

昭和59年​ 大師範・川崎桂子

川崎流大師範の資格を許され、同時に芸名を「川崎桂子」と名乗ることになりました。


昭和61年 全国大会優勝

日本郷土民謡協会全国大会にて優勝。優勝曲はやっぱり「秋田おばこ」でした\(^ ^)/毎年優勝候補といわれながら、プレッシャーに負けてなかなか結果が出せませんでしたがこれでやっと師匠への恩返しができたと実感しました。


昭和61年 NHKオーディション合格

初挑戦でNHK邦楽オーディション民謡の部に合格。合格曲は「秋田おばこ」「生保内節」。NHKの「日本の民謡」にレギュラー出演させていただき、以来吹き込んだ曲数はおおよそ70曲ほどになるでしょうか。


昭和61年 家元として独立

師匠より川崎流宮本派家元を許されました。
 

​昭和62年 初めての民謡ショー

松戸市民劇場に於いて「川崎桂子民謡ショー」を開催。初めての民謡ショーでしたが、350席の会場は立ち見が出るほどに超満員。延べ入場者数は600人に達し、シンドカッタけど嬉しかったですね。


自己紹介,随時更新していきます。よろしく。




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